がんばれ

私が間違っているかもしれないが。
 
社会の価値観ってあると思う。
私の子供時代「がんばる」が美徳だった。
先生も親も、誰も彼もが「がんばれ」「がんばれ」と言っていた。
偉人伝も「超人的にがんばった人の成功物語」だった。
ガリ勉少年も普通の少年も不良少年も、何かにがんばっていた。
 
そんな時代の「失敗の言い訳」は、「がんばったけど、できませんでした」だった。
考えるまでもなく、それは「言い訳」になっていないのだが、そう言えば周りの人は
許してくれたし、自分にもたぶん納得がいった。
もちろん、それを悪用する人もいたのだが。
 
今の時代、「がんばる」ことは美徳ではないようだ。
何が美徳かというと「才能を発揮すること」であるように見える。
つまり、「才能のある人が好きなことを好きにやって成功する」のがよいようだ。
そこには、苦行はなく、楽しみと高揚しかない。
そして、「誰にでも何かオンリーワンな才能がある」らしい。
美しい世界だ。
 
しかし、その場合、「失敗の言い訳」はどうなるのだろう、と思う。
それはとても難しいと思う。
「がんばったけど、できませんでした」とは言いにくい。
それは単に才能がなかったからか、あるいは自分の才能を読み違った結果であり、
今の時代の価値観では「言い訳」にならない。
いっそ「がんばれなかったので、できませんでした」と言ってしまった方が、
周りの人も許してくれそうだ。
「次に(あるいは、別のことで)才能を発揮すればいいよ」と。
しかし、実際のところ、「次」だの「別」だのないのが人生だ。
 
価値観自体に優劣はないのだろう。
しかし、今の時代の価値観は、少々残酷な気がしてしまう。
 
私は偏屈なおっさんとしてすべての若者に言いたい。
がんばれ。やるべきことを全力でやれ。と。