非受験期の勉強・中学国語 前篇

「普通の勉強と受験勉強」の個別編。
我が家の娘は中学の非受験期なのでその辺を中心に。
(息子は高校の非受験期だが、なかなか私の干渉を受け付けない。^^;)
 
そして、なんと、国語である!
何年か前に、このブログで、「国語の家庭学習はどうすればいいんだ?」みたいに
悩んでいたのが夢のようだ。
なぜなら、もう1点の疑問もないのであるっ。
 
受験指導の本に、よく「読書だけでは国語のテストの点は上がらない」という主張がある。
基本的に賛成である。
これは、いろいろな人に言いたい「真実」であると思う。
 
しかし、と、考えた。
それなら「入試対策の国語の勉強」だけしていれば、それでよいのか。
「入試対策の国語の勉強」とは、出題文を丁寧に読み、自分の感情は別に置いて、
その内容を理解する訓練である。
これは、非常に重要なことだと思う。
みんなが「入試の国語の勉強」をするべきではないのか。とさえ、思う。
 
(ただし、高校入試で出題される「評論文」のかなり多くが、私には、合わない。
 「こんな文章、なんで読まなければならないんだーっ」と思うものも結構ある。
 正直なところ、私には、「自分の感情を別に置く」が難しいのだ。
 この事実は、私の子供たちの国語の学習に、大きな影響を持ちうる。
 どうしたもんかと思うのだが、嫌いなものは、嫌いなんだからしかたがない。
 これについては、覚えていたら、あとで論じたい。大した話ではないが。)
 
「入試対策の国語の勉強」は、結局、「文章の読み方」の勉強だ。
(それと、「答え方」(≒「文章の書き方」)の勉強でもある。)
上に書いたように、どうも私には好きになれない文章も多いのだが、入試問題には、
多くの人が「良い」と判断する文章が出題されている。
だから、「入試対策の国語の勉強」万々歳のようである。
 
しかし、そこで読むのは、結局、出題者が選んだ細切れの文章にすぎない。
私は、他人が選んだ細切れの文章を、感情を交えずに読んで、意味がわかるように
なることは、非常に重要なことだと思う。
しかしまた、それだけでは、意味がないと信じる。
 
そこで考えたのは、読書である!
いつものように、平凡な結論である。
 
後編に続く。