単純反復学習とその先

いつも書いてることだけど。
 
基礎知識・基礎技能がないと「本当におもしろい所」まで行けない。と思う。
基礎知識・基礎技能は、絶対に必要なのだ。
そして、それを身につける方法は簡単だ。ただただ繰り返せばよい。
 
その代表は、100マス計算であり、書き取りドリルである。
このような単純反復学習は、うまくやりさえすれば、本当に、本当に、威力がある。
しかし、勉強はそこで終わりではない。
 
すると、「いつまで単純反復学習を続けるのか」という問題が発生する。
この問題自体は単純に見えるが、実は、もっと大きな問題、
「単純反復学習を続ける間に、情熱を失ってしまわないか」という問題にも
つながっている。
これは、大きな問題なのだ。
 
たとえば、スポーツの場合。
優秀な選手たちは、基本動作の単純反復練習をずっと続けているように見える。
もちろん、「飽きないための工夫」もあるのだろうが、基本的に、単純反復練習が
できない人は、大成しないのではないか。(天才のことは知らない。)
彼らは、単純反復練習を続けながらも、情熱を失わないのだろう。
たぶん、それは、勉強も同じだろうと思う。
それは、個性なのだろうか。
 
ところで、単純反復学習・練習と書いたが、「単純反復に見えて、一度として
同じ学習・練習はない。毎回毎回発見がある」なんて、禅問答(?)のような
ことを言う人もいる。
 
実は、私も、そう思うのだ。
しかし、そう思えるまでには、結構長い紆余曲折が必要だ。
そう思わない人には、いくら言葉で言ってもわからないだろう。
 
指導者(先生や親)はどうあるべきか。
指導者として、単純反復学習は、指示しやすい。「やれ」と言うだけだから。
しかも、一定レベルの効果は確実に得られるし、その効果を生徒に
実感させることも可能だと思う。(範囲限定の小テストをやればよい。)
 
しかし、ただただ単純反復学習をしていればそれでよいのだろうか。
そうしているうちに、生徒は、悟りを開くのだろうか。
確かにそういう生徒もいるだろう。
しかし、情熱を失う生徒もいるだろう。
 
「情熱を失う」には、「単純反復学習がおもしろくなって、その先に進みたく
なくなる」も含まれる。
これは、前述の「単純反復に見えて、一度として同じ学習・練習はない。
毎回毎回発見がある」というのとは違うと思う。
 
どうすればいいのか。
いや、やっぱり、それは、生徒・子供の個性に任せるべきなのか、とも思う。
それにしても、生徒や子供が先生や親の影響を受けないはずがない。
責任は重大である。