集合はなぜ必要か

大人編ではなく、子供編。
「なぜ、子供時代に集合を学ぶべきか」の私論。
子供時代の「集合」だから、無限なんか扱わない。
 
たとえば、「1〜100までの数のうち、2でも3でも割り切れるけど、
5で割り切れない数はいくつある?」という問題があったとしよう。
ちょっと考えると、頭がくらくらしそうだ。
 
が、ベン図を描いて落ち着いて考えればやさしい。

2で割り切れる=2の倍数、3で割り切れる=3の倍数なので、
図の赤いところにある数の個数を求めればいい。
そのために、
 
 「赤と青にある数の個数」 - 「青いところにある数の個数」
 
を計算すれば良い。(左門豊作の法則であるっ)
まず、「赤と青にある数」は、2の倍数かつ3の倍数だから、6の倍数。
1〜100までの間で6の倍数は、100 ÷ 6 = 16 ・・・ 4 で16個。
「青いところにある数」は、30の倍数だから、1〜100の間には、3個。
結局、16 - 3 = 13 で、13個となる。
 
このように、集合を考えるとなぜよいか、というと、それは、
「割り切れる」だの「3の倍数(3倍になっている)」などという
動的な問題を、ベン図のような静的なフレームワークで考えることが
できるということだ。
これは、ちょっとした、しかし、重要なテクニックだと思う。
 
普通の大人は倍数のことなんか考えないかもしれない。
そう思う人には、上の議論は、説得力がないだろう(か?)。
 
それなら、こういう問題はどうだろう。
「うちの職場にはAさん、Bさん、Cさん、Dさんがいる。
 彼らは、機材a、機材b、機材c、機材dを使いたい。
 バッティングしないように予定を組むにはどうしたらいいか」
 
もちろん、簡単である。
たとえば、

のような表、あるいは、

のような表を描いて考えればよいのだ。
 
こんなことは、数学を勉強していなくてもできる。
誰だってできる。・・・だろうか。
私が思うに、意外にそうでもないのだ。
 
もちろん、普通の職場では、はじめから予定表がありそうなものだが、
事情によっては、そうでもない。
いずれにしても、予定表は、はじめに誰かが作らなければ、ない。
 
で、誰かが、「え〜と、今日は機材bが必要です」なんて言うと、
別の誰かが「今、機材d誰が使ってんの?今日使いたいんだけど」
みたいなことを言い出し、あわてて、Cさん、Eさん、Fさん
(Eさんは機材を使わない権力者、Fさんは別の部署の人)が、
決めちゃおうとして混乱する・・・なんてこともある。
(もちろん、いつもある、と言っているわけではない。)
 
上の問題が簡単に見えるのは、問題をはっきり述べたからだ。
つまり、最初に、
 
 「Aさん、Bさん、Cさん、Dさんがいる」
 
とし、(だから、EさんやFさんなんか出てこない)
 
 「機材a、機材b、機材c、機材d」を使う
 
と(機材eや機材fは別の話)、範囲を限定したことだ。
それは、つまり、2つの集合(人と機材)を考えたからだ。
(あと、実は、「日程の集合」もある。)
 
問題はクリアに述べられればこそ、答が出せる。
そして、集合的な考え方を使うことで、問題がクリアになる
ことも多いのだ。
 
ね、ほら、集合って重要でしょ。
もちろん、別に、「天才でなければ考えられない」という話ではない。
 
後記:
蛇足ながら、職場の例で私が言いたかったことは、問題解決には、
 
 問題が扱う範囲を限定する
 
ことが大事だということだ。問題の範囲を限定しない人は意外に多い。
が、それでは、たぶん、問題は解決できない。
そして、子供時代に学ぶ「集合的な考え方」の重要なポイントは、
「考える範囲を決めるという思考習慣」だと思う。ということである。