ノート 最終回

続くと思わなかったけど、続いたノート編、最終回。
 
ここまで言ってきたことは次のようなこと。
まず、ノートには、
 
 ・1度書いたら(おそらく)読み返すことのないノート
 ・何度も読み返す(はずの)ノート
 
の2種類がある。
「読み返すことのないノート」はどう書いてもかまわないが、あとで、達成感を
味わいたいなら、ちょっとだけそのように工夫するとよい。
「何度も読み返す(はずの)ノート」は、子供の場合、授業で作られるが、
そのできは先生次第。
(良いノートを作れない授業は悪い授業という意味ではない。)
 
ここに親が関与することはあるだろうか。
あるっ。と思う。
 
実際に、子供はノートを何度も読み返しているだろうか?
私自身がノートを読み返すようになったのは、高校生になってからだ。
(達成感用ノートはあった。数学の問題集ノートだ。)
中学生の私が書いた授業ノートがどんなものか、興味があるのだが、もうわからない。
だから、もしかしたら、もともと「読み返す価値のないノート」だったのかもしれない。
 
ま、私の過去などどうでもよかろう。今を生きようでわないか。
で、子供たちの授業ノートを見てみると、拍手をしたくなるような、
「何度も読み返す価値のあるノート」が、確かにある。
もちろん(?)全部ではないが。
(もう一度繰り返すが、良いノートを作れない授業は悪い授業という意味ではない。)
 
それでは、そのようなノートを子供たちは読み返しているだろうか。
自分の経験を思い出せば、中学生が自分のノートを読み返すということは、
あんまりないのではないかと思う。
 
さて、結論を言うならば、「ノートに関して親がすべきこと」は、
「良いノートを作れ」ということではなく、
「授業ノートを何度も読み返すように子供に促すこと」だと思うのだ。
もちろん、そういうことは、命令しても意味がないと思う。
うまくノートを読み返す機会をつくってあげて、ノートを読み返すことの
おもしろさをつかんでほしいのだ。
 
以上です。