A Little Princess

読了。おもしろかった〜。
英語の本を読んでおもしろかったのは、The Magician’s Nephew以来、まだ2冊目だ。
自分の英語力のなさは痛感させられたが、最後の方は、もうどうでもよくなった。
 
表紙には、クラシックな、なかなかかわいい少女の絵があって、息子には、
「そういう絵の本を、おっさんが電車で読んでるのは、不気味だよ」などと
言われながらも読み切りましたぜ。
 
この本は、分類すると、冒険小説だと思う。
いや、だから、アルセーヌ・ルパンとか、海底2万マイルとかと同じ冒険小説。
「いじめもの」では全然ないし、社会派ものでもない。
思うに、この作者さん(Frances Hodgson Burnett)、子供の頃、ものすごい夢想家
だったのではないだろうか。その夢想をそのまま小説にしてしまったような感じだ。
 
この物語の社会背景は暗い。
主人公セーラが、無一文になろうが、また大金持ちに戻ろうが、ロンドンの街角には
ストリートチルドレンがあふれ、奴隷同然の召使たちがひどい仕打ちを受け、
インドには文字通りの奴隷がいる。
セーラが大金持ちなのは、大英帝国がインド人から搾取をした結果に違いない。
この作者は、そういうことを、どんな風に感じていたのだろうとも思わざるを得ない。
しかし、まあ、冒険小説なんだから、そこまで追求するのは野暮なのかもしれない。
(そもそも、あり得ない設定も多い。「それ、普通、無理でしょ」みたいな。)
 
ただ、いずれにしても、そういう事情があるから、「この本はおもしろい」と言うには、
少々、言い訳(justification)がいるようだ。それが、上に書いたことだ。
全文読んでいないが、(作者でない人の)あとがきも、なんだか、そんな言い訳っぽく
はじまる。
 
そんな風に言い訳が必要そうな話でも、世界中の(インド人はどうなんだろう)人々を
ひきつけ、あまつさえ、自国版まで作らせてしまうものが、この物語にはあると思う。
 
それほど重要ではないだろう、しかし、私の好きなシーン。
ジェシー(日本版のいじめっこマリアさんのお友達)とアーメンガード(セーラの
お友達)との会話。
ジェシー「なんで泣いてるの?」
アーミー「泣いてなんかないわよ」
ジェシー「だって、ほら、泣いてるじゃない」
 
「この作者さん、子供の頃、すごく貧乏だったんじゃないかなー」と思って、調べてみると、
やっぱり、かなり貧乏だったよう。
もしかすると、実際、ロンドンの貧しい人たちの方に、かなり近かったのかも。
で、「私は、本当は、大金持ちの子供だったらな〜」なんて思ってたんじゃないのだろうか。
まあ、それは、私の夢想に過ぎないのだが。
 
さて、この勢いで、同じ作者のThe Secret Gardenも読み始めちゃった。
こちらの主人公メアリは、セーラと似てるような、正反対なような経歴。
その事自体興味深いけれど、それより、なんだか、ちょっと思うことがあった。
この作者は、何かを取り戻す話を書きたいんじゃないだろうか。
あるいは、実際に、何かを取り戻そうとしていたのではないだろうか。
その何かは、「お金」じゃなくて・・・、さて、何でしょう。
(いろいろな可能性が考えられるので、一言では言えない。)
そういうところが、人を惹きつけるのではないだろうか。