私家版・子供のための国語勉強法7

30年前の大学入試の国語の現代文で良い点を取るには、問題意識と
それから派生する知識が必要だった。
問題意識とは、我々の社会がどのように成り立ち、どのような問題を
持ち、それ対してどのような解決策が試みられているのか、という
ことへの関心である。・・・という話をした。
(なんだか、理系の私には、分を超えた話になっている気もするが。)
 
それでは、それは、具体的に何?・・・と言うことになるかと思う。
それは、過去の霞の中でぼんやりしてしまって、自信をもってここに
書き出すことはできない。ごめんなさい。
ただ、自分がどのようにして、そういったものを獲得して行ったかは、
思い出して書いてみたい。
単なる思い出話というか、ヘタをすると青春自慢になりそうだが、
そういうところは、老人のたわごとと笑って読み流していただき、
そのごく個人的な体験から、なんらかの普遍的な手順を見出せればと思う。
(↑主語−述語の関係が微妙な文ですね。
 大人になると、こういう文も意図的に、書くわけです。)
 
まず、きっかけは、「新釈 現代文」だった。
そこにあげてある、人間主義、合理主義、人格主義について興味を持った。
そもそも、合理主義はともかく、人間主義とか人格主義とかって、
普通わからないでしょ?
(今考えると、人格主義は、結局、わからなかったように思う。
 だって、今なら、当時思いもよらなかったことを思いつくから。)
 
そこで、倫社の先生に質問してみた。それから、倫社の授業に出た。
そうこうしているうちに、「哲学を知らなければだめだ」と思い立ち、
理由は忘れたが、梅原猛の「哲学の復興」を読んで、かなり影響を受けた。
(それと、山本ベン○サン著「○○人と△△人」を読んで、
 入れあげてしまったこともあった。
 これは、純然たる若気の至りであり、後々反省することしきりだった。
 が、「そういう考え方にも触れた」ということで意義があった。かも。)
 
梅原猛も山本○○も、倫社の先生には評判がよくなくて、おかげで、
さらにいろいろ考えたように思う。
(倫社の先生は、「国家」とか「東洋西洋」という考え方に否定的だった。
 一方、漢文の先生は、自らを儒者と名乗る方で、「東洋的な考え方」を
 かなりぶち込まれた気がする。
 私がどちらの先生も敬愛していたことは、言うまでもない。)
 
また、私の高校は、純然たる受験校で「高校という名の予備校」とも
言われていた(自分たちでもそう言っていた)のだが、その実、
なかなかおもしろいやつらがいて、特に、「女性差別に反対する会合」の
ようなものを開いていた。
(あ、男子校だけどね。というか、男子校だからか?)
確か、中山千夏がヒーローだった。
私は、彼らの思想が本当にわからなかったが、なんだか会合には出ていて、
「女性は神聖なものだ」(私)、「いや、そういう考えが差別なんだ」(友人)
などというやり取りをして、いろいろ学ぶことがあったように思う。
 
えーと。
カビ臭い思い出話になったが、まあ、こんな風に、高校生の私は、徐々に、
「(当時の)現代を受け入れる体制」に入っていったということだ。
こういう準備は、(少なくとも大学受験では)必要ではないだろうか。
 
で、そういう準備ができたあとの「点数を上げる話」は、そんなにたいした
ことではない。
が、続く。