私家版・子供のための国語勉強法4

高田瑞穂先生「新釈 現代文」本文の最初の1行には、
 
 現代文とは、何等かの意味において、現代の必要に答えた表現のことです。
 
とある。
私は、この1文に、心を打たれた。
 
高田先生は、現代文は、現代の必要に答えるものであり、読者を想定して
いるからと、これを公的表現とよんでいる。
我々は、公的表現を読み、考えるのだ。
これは、当たり前のことのようだが、非常に重要な指摘だと思う。
(特に、私のような、第1原理大好き理系人間には。)
論説文はもとより、詩歌に到るまでを、「公的表現」として解釈する
明快な説明は、本当に心躍るものだった。
 
そして、そのような公的表現を理解するためには、読者自身に問題意識が
なければならない、とある。
また、もう1つ必要なものとして、「論理の感覚」(「内面的運動感覚」)
もあげている。
そして、これらの準備と前提のもと・・・と論は続く。
  
その後の論も大変参考になったが、今の私にとって、重要なことは、
「現代文の読み取り実践編」ではなく、むしろ、ここまでの話である。
したがって、ここから、私の論とさせていただきたい。
(興味がある方は、ぜひぜひ、原著を買って読んでください。)
 
で、私家版としては、次のようにまとめさせていただきたい。
 
 現代文は公的表現であり、その理解には、問題意識が必要である。
 
「現代文を公的表現と捉える」ということは、一種の「文章を読むため
(現代文の勉強をするための)の覚悟」のようなものだと思う。
「そういうものを読むんだっ!」という。
だから、ここでは繰り返さない。
 
難しいのは、「問題意識」である。
私は、これは、「現代(社会)の持つ問題への関心」ということだと思う。
我々の社会がどのように成り立ち、どのような問題を持ち、それ対して
どのような解決策が試みられているのか、ということへの関心である。
と思う。
 
続く。