自分と子供たちのための数学勉強法2

中学生の数学の教科書・参考書を見ると、その内容の薄さに驚く。
中学校で習う数学の内容なんて、実に、ほんのわずかしかないのだ。
別に、ゆとり教育に限らず、たぶん、いつの時代も。
(もちろん、私自身が、中学生時代にそう思ったという話ではない。
 内容は薄いけれど、「やるべきこと」はたくさんある。後述。)
 
中学や高校における数学の授業は、
 
 1.先生が新しい考え方を説明する。
 2.先生がその考え方にしたがって例題を解いてみせる。
 3.生徒が練習問題を解く。
 
というような形で進むのが一般的だろう。
さらに、「受験期には、生徒が自ら問題集をやる」があると思うが、
これは、個人がすることなので、「授業」からは除いた。
 
このうち、どこに一番、時間をかけるべきだろうか。
 
本項の目的は、「ゆとり教育批判」ではないが、ちょっと横道に。
想像だが、ゆとり教育では、項目1に力がいれられたのではないかと思う。
あるいは、項目1の前に、
 
 0.生徒に問題の解決方法を自分で考えさせる。
 
というものをいれるとか。
(これは、実のところ、項目1のひとつの形態に過ぎないと思う。
 時間がかなりある場合の。)
 
私は、小学校の算数の授業参観で、そんな様子を見たことがある。
先生が新しい問題(算数の問題ではなく、日常生活で起こるような問題)を
生徒たちに与え、「そこに算数的思考がどのように活かせるか」を生徒たち
が班単位で話し合い、結果を発表し合い、最後に意見をまとめる、、、
というものだった。
 
生徒の話し合いは、なかなか活気あふれるもので、理想的な授業である。
かに見えた。
先生は、一生懸命やっていたと思うし、ご指導に頭が下がった。
本当に。
 
しかし、疑問も残った。
生徒たちの話し合いは、一見活気があったが、その実、多くの生徒は、
「できる子」がうまくまとめるのを待っているように思えたのだ。
一見、議論のようなことをしながら。
(大人の会議だって、そうでしょ?
 大人の会議で「決定的意見」を言うのは、「できる子」じゃなくて、
 「権力のある子」だけどね。)
 
「できる子」は、他の子に説明するため、一生懸命頭を使っている。
だから、「できる子」には、「生きる力」を養う良い授業だろうと思う。
しかし、算数の不得意な子にとっては、実に、効率の悪い授業になって
いるのではないか、と思ったのだ。
(算数の不得意な子が、このような授業で算数が得意になることはない。
 と、元塾アルバイト講師の私は、言いたい。)
 
えーと。
「子供同士で話し合わせる」ことを否定したいのではない。
それは、(前にも書いたが)非常に重要なことだと思う。
だから、このような授業は、ぜひやっていただきたい。
しかし、前述のようなデメリットが発生するのも明らかであり、それを
考慮した上で、「教え込み方式」など、他の方式と組み合わせるべき
だろうと思うのだ。
 
ちなみに、後で子供に、「授業面白かったけど、あのペースじゃ、
あんまり進まないだろ?」と聞いたところ、「ああいう授業は
普段やらないから、平気だよ」とのことだった。
(「授業参観の日に、特別な授業をした」ということかもしれない。)
 
閑話休題
なんで、こんな話をしたかというと、多くの人は、項目1を重視しすぎ
のように思うからだ。
ゆとり教育の理想論もそこから生まれたのではないか。
「意味もわからずに計算練習させるのは拷問と同じだ。計算練習より
 意味を理解させることが重要だ。そこを徹底的にやれ。
 (それと、生徒自らが考えるようにしろ)」などと。
(あれ、いつもの話に似てきました(笑)?)
 
しかし、私は、本来、項目1が占めるべき割合はあまり高くないと思う。
それは、最初に言ったように、中学校で習う数学の内容なんて、実に
ほんのわずかしかないからだ。
難問を解かせる受験塾はもちろんだが、補習塾のようなところでも、
大抵は、項目2、項目3に力を入れているのではないかと思うのだ。
(推定であって、未確認。)
  
続く。