角をたわめない

昨日、妻と息子が激しくやりあった。
妻が「勉強しなさい」というのに対して、息子が反発したのだ。
 
親が「勉強しなさい」というのは、当然のことだ。
が、妻の言い方はしつこすぎたかもしれない。
だから、息子が反発するのわかる。
が、息子の言い方も強すぎたかもしれない。
 
と、まあ、こんな具合で、難しい状況になった。
(娘はそうそうに退席してしまった。
 こういうときこそ、頼りになりそうなのだが...。)
しかし、「どうせ、明日になったら二人ともケロッとしてるんだろうな」
とも思った。
 
案の定だった。まったくも〜。(職場で心配してたのに。)
 
妻が息子に「勉強しろ」というのは、私の影響かもしれない。
最近、息子がつまらない計算間違いをしたり、簡単な漢字を書けなかったり
することを、かなり深刻にとらえていたのは私だからだ。
と言うことは、本当は、私が引き起こした問題かもしれないわけだ。
 
が、いずれにしても、妻と息子は、私の仕事中に和解してしまった。
なんでも、協定を結んだのだとか。(なんじゃらほい?)
だから、その件は、もういいのだろう。
 
ただ、思うことがある。
私は、つい最近まで、「計算や漢字の練習をもっとやらせなければ」と
脅迫的になっていたが、この数日、そんなことにかまけて息子のよい面を
見ないのは、大きな間違いではないかと思い始めていたのである。
よい面を認めて伸ばしてやれば、それでいいのではないかと。
妻と息子の衝突を見て、ますます、そう思ったのだ。
 
それに応えるわけでもないが、今日、息子が「思いついたことがある」。
「n個のものから2つ選ぶ選び方はn(n - 1)/2通り」の「理由」だ。
それは、当然のことなのだが、息子の解釈は実にユニークで感心させられた。
(はじめにn個の中のどれかを選んで、次にn - 1個の中のどれかを選ぶ...
 という伝統的は解釈ではない。)
数学の「思いつき」を聞かされたのは久しぶりだが、やっぱり、息子は、
そういう方向に向いているように思う。
 
計算や漢字は、大人になっていく過程で、なんとかなるものに違いない。