国語の先取り学習・先行体験6(未完の最終回 - 1)

どうにも、まとまらなかった。
しかたがないので、ここで、一旦シメにしたい。
(読者なんかいないと思いますが、いたらごめんなさい。)
 
前回、国語の自宅学習の難しさを訴えた。
で、関連して、8月29日の雑談で、「小説を読むこと」の難しさを訴えた。
偶然だが、子供たちの夏休みの課題に感想文がはいって、自分の子供たちの
課題として、見えてきたものがある。それは、
 
 読解力と表現力
 
をどうやって身につけさせるかだ。
実際、国語の最重要課題は、これだろうと思う。
 
表現力は、読解力のあとの課題と考えるので、まず、読解力を考えたい。
読解力は、大きく分けて、「論説文の読解力」と「物語文の読解力」があると思う。
(「詩歌の読解力」などもあるかもしれないが、ここでは考えない。)
どちらの読解力も、「日本語を正しく理解する力」が前提になる。
しかし、その基本部分は、普通に日本で生きていれば、年相応に身につくかと思う。
ちょっと気になるのは、「慣用句の理解」である。
たとえば、「火を見るより明らか」などという表現を、子供たちはあまり知らない。
そのため、このような言い回しがわからないために、文章全体が理解できない
ということもある。
それに対して、一案として、中学入試の参考書の活用がある。
中学入試の参考書には、慣用句をまとめた良書がかなりある。
それを読ませるのもよいのではと思うのだ。
が、何しろ「慣用句」は大量である。
それらを、「まとめ本」だけで身につけられるのかは、今のところわからない。
 
日本語が理解できたとして、その先だが、「論説文の読解力」に必要なのは、
 
 1.論理を追う力
 2.問題意識
 
ということになるだろうか。「論理を追う力」は、いずれにしても、これがないと
人生全般に困るので、身につけさせてあげたい。
が、逆に、訓練はそれほど難しくないと思う。
(ただし、論理的でない著者による論説文には閉口させられる。
 どうしてそういう文章を入試問題に使うのだろうか。
 この国の仕組みでは、「そんな学校には行かなければいい」とは言えない。)
問題意識とは、論説文が述べている問題への関心である。
たとえば、「人権」とか「日本人の自然観」とか、そういうことに関心がないと、
そういうことを述べている文章を読んでもあまりわからないだろう。
これは、普段の生活の中で、親が教えていくべきものだと思う。
(なかなか難しいのだが。
 たとえば、「畳の良さ」から「日本人の自然との共生方法」なんかを説く
 文章だと、板の間の多いウチは、ちょっと困る。)
 
だが、まあ、「論説文の読解力」は、努力すべき方向が見えているように思う。
ずっと難しいのは、「物語文の読解力」だ。
(そう思うのは、私が、理系だからかもしれないが。)
「物語」というか、「小説」の読解で問題になるのは、次のようなことだと思う。
 
 1.小説の「設定」を理解できるか
  (たとえば、「病室のいじめっこ」とか「一人暮らしの少年」とか、
   登場人物の経歴や生活から、登場人物のかかえている「問題」がわかるか)
 2.人の心の動きを理解できる
  (たとえば、「今まで嫌いだった奴の弱いところが見えたときの気持ち」とか、
   「主人公が他人に閉ざしていた心を開くとき」がわかるか)
 
小説では、上のようなことは、サラリと書かれることが多い。
(あんまり説明口調では、興醒めだから。)
しかし、子供には、なかなかわかりにくいようだ。
いったい、このようなことが、「わかる」のはなぜだろうか。
 
あまり長々書いてもしかたがないので、簡潔に書くと、それは、
 
 「文化的お約束への理解」と「経験」
 
がある場合ではないかと思う。
「文化的お約束」とは、私が勝手にここで言っている言葉だが、それは、
「ある設定」に対して、「ある文化の人みなが同様に考えること」だ。
(説明、苦しい...。)
たとえば、「病室でいじめっこが弱っている姿を見た」という設定で、
「良い子」が考えることは、文化的に決まっているのではないかと思う。
もちろん、主人公が「良い子」とは限らないが、普通の小説では、その了解が
あった上で、主人公が「良い子」だったり、「少し悪い子」だったりするのでは
ないだろうか。
しかし、このような「文化的お約束」は、あいまいなもので、扱いが難しい。
それに、実のところ、最近の小説における「文化的お約束」を私は理解できない。
(つまり、私は、最近の小説家の多くと同じ文化に属していない。)
 
また、「経験」というのも、かなり難しいものだ。
個人の経験など限られているのだから。
 
以上から、「国語の勉強は、どうにも、難しい」というところで思考が止まって
しまっている。
あえて言うと、これまでと同じような話で恐縮だが、「子供と同じ本を読み、
その内容について真剣に話し合う」が、「国語の自宅学習」ということになる
かと思う。
 
結局、今の結論は、上記の通りです。
ただ、題名が「国語の先取り学習・先行体験」なのに、少しも、先取り学習や
先行体験の話にならなかった言い訳を、できれば、次回・最終回にしたいと
思います。できなければ、今回が最終回となります。ごめんなさい。
できたとしても、「言い訳」なので、大した内容にはなりません。
「もともと大した内容じゃないじゃないか」というツッコミはご容赦を(笑)。