あなうめ感想文を擁護する3

5.感想文の構成要素
「課題としての感想文」について。
「公式なお手本がない」という話を長々と書いてきた。その続き。
 
子供の「課題としての感想文」に、何を期待するのか。
公式なお手本がない以上、それは、人それぞれだと思う。
つい最近まで、「私の期待」は、「それをきっかけに本を読んでくれればよい」だった。
つまり、「感想文の文章そのもの」はおまけにすぎなかったのだ。
 
子供の感想文に含まれる要素は次のようなものだと思う。
 
 1.内容
 2.文章の構成法
 3.表現の技法
 
「内容」とは、「その本をどのように読み込み、どのように感じたか」ということだ。
多くの人は、これを重視するのではないか。
しかし、私は、(「課題としての感想文」については)あまり重視しない。
そもそも「文章を読み、著者の意図を理解し、それを自分の人生にどう結びつけるか」
ということは、普段の国語の授業で行っていることである。
確かに多少の違いはある。国語の教科書に載っている文章は短く、本の文章は長い。
しかし、それは、「普段プールで泳ぐ練習をしているので、夏休みには海に行って
泳いでこい」というようなことだろう。もちろん、それには、十分意義がある。
(海では、大人がきちんと安全確保する必要があります。念のため)
しかし、その成果は、「普段の訓練がどれだけできているか」に依るだろう。
夏休みの課題(「課題としての感想文」は夏休みに出題されることが多い)だから
といって、特別に何か「良い結果」を期待することはないだろうと思うのだ。
 
一方、「文章の構成法」(感想文全体の構成)や「表現の技法」は、おそらく、
普段の授業ではなかなか手が
まわらないことではないだろうか。だから、これらも、あまり期待できないでいた。
普段訓練していないことをいきなりやらせて、成果を期待するのは、虫が良すぎるだろう。
 
しかし、もし、である。
もし、子供たちが理解できるやさしい教材があり、「課題としての感想文」そのものが、
上記の項目の中の何かの訓練になるとしたら、すばらしいことではないだろうか。
そこに、「市販の参考書」が登場する。
 
6.市販の参考書の使い方に関する私見
一般に市販されている「感想文の参考書」のすべてを読んだわけではない。
と言うか、真剣に読んだものは一冊もないので、誤解であったら申し訳ないのだが、
子供には、少々、難しすぎるように思う。
決して、売られている本の批判をしたいわけではないのだが、簡単に言うと、
「感想文の参考書」を読んで理解でき、実行できる子供は、その参考書を読む前から、
相当の実力者だろうと思うのだ。
(それは、私のお勧め「あなうめ感想文」でも同じだ。)
だから、前節で書いた、「もし」は、なかなか成立しない。
 
それでは、それらの本は、無意味かというと、そうではないと思う。
私は、「感想文の参考書」は、子供に与えるものではなく、子供を指導する人
(親とか先生)が読み、適宜、その一部を子供たちに教えるものではないかと思うのだ。