国語の先取り学習・先行体験2

前回の続き。
「病気の友人を目の前にして、同情し、次に、同情したことを反省し、人間の力
 ではどうにもならない運命の存在を知り、複雑な気持ちになっている主人公。」
ステレオタイプでごめんなさい。意を汲んでくださいね。)
そんな主人公の気持ちを暗に示す何かが、散りばめられている文章を読んで、
「主人公の気持ちを述べなさい」と問われ、解答者が、「主人公は、"今ならこの
友人とケンカしても勝てる"と思っている」と答えたとする...。
 
子供なんてそんなもんではないだろうか。私は、それでいいと思う。
 
しかし、一生そのままではいけない。
この解答者が、小中学生だったら、私は「ゆっくり大人になりなよ」と思う。
高校生だったら、その幼稚さが心配になる。
大人だったら、その感性に恐怖を感じる。だろう。
 
これには、「精神の発達」と「個人と社会の関係」の2つがからんでいると思う。
そもそも、「病気で苦しんでいる友達」をどう思うかは、個性の問題である。
個性なんだから、どう思おうと「よい」とも言える。
(もちろん、問題は、「解答者がどう思うか」ではなく、「主人公がどう思ったか」
 である。この区別は、解答を書く上で、非常に重要である。
 しかし、「解答者の解答」は「解答者がどう思うか」に強く「影響」される。
 私が論じたいのは、その点である。
 「しっかりした読解力」があれば、「自分がどう思うか」に関係なく、「主人公が
 どう思ったか」を読み取れる。と言いたいが、現実にはそうではないと思う。
 特に、子供の場合は。)
しかし、個性は、年齢に応じて変化する。
「今ならケンカに勝てる」なんて思った子供も、大人になれば、違うことを
感じるようになるだろう。
だから、これは「精神の発達」の問題でもある。と思う。
 
一方、「病気で苦しんでいる友達」をどう思うかには、多分に、「社会」の性格も
関係すると思う。たとえば、同情を良しとする社会か、しない社会か。
あるいは、病気をどう考える社会か、など。
ある価値観をもった社会での「国語の問題」を異なる価値観をもった社会出身の
人が解くことは、かなり難しいことだと思う。
(繰り返すが、「しっかりした読解力」があれば、自分の価値観や自分の社会の
 価値観に反する考えも 読み取ることができる。とは言えないと思う。)
 
つまり、国語の問題では、「精神がちゃんと成長し、その社会で良しとされる
考え方が身に付いているか」が問われることになると思うのだ。
これは、確かに、「問うてほしいこと」でもある。
 
しかし、、、言うまでもないと思うが、これは、難しい。
整理すると、「国語の難しさ」は、次のようになるのではないか。
 
 0.国語は、個人と社会をつなぐものである
 1.一般に、個性(個人の性格)は尊重されるが、「社会的に好まれない個性」、
   「社会的に好まれる個性」がある
 2.個性は精神の発達の度合い(精神年齢)によって変化している
 
そして、言うまでもなく(?)、現代日本には、続けて、次の困難がある。
 
 3.社会の価値もまたゆらいでいる