文学と相対論

息子と本屋さんに行った。
ファンタジーもの(ドラゴンとか魔法とか)はよく読むのだが、文学作品を全然読まないので、
せめて春休み中に1冊読ませようと。
ところが、驚いたのだが、自分が少年時代にあったような小説がほとんどなくなっている!
まあ、人の好みはそれぞれだし、そもそも自分も小説なんか、何十年も読んでいなかったので、
しかたがないのだが、ものすごくさびしい。
自分より若い作家の作品には、どうにも、好きになれないものが多い。
(読んだわけではなく、タイトルや伝聞からの判断だが。)
そもそも、小説というのは、大抵の場合、「日常の中にありうる、しかし、普通でない事」を
題材にするのではないだろうか。ところが、最近の日本の「日常」はあまりにも、刺激的に
なりすぎていて、そこからさらに「普通でない事」を書こうとすると、本当に、とんでもない事に
なってしまうのではないだろうか。
まあ、そういう小説ばかりでもないと思うのだが...。
 
で、困ったなーと思っていたら、子供向けの相対論の本が。
息子も興味がありそうだったので、つい、買ってあげてしまった。
家に帰ると、オオイバリで、妻に、「ほら。春休みは文学作品を読むんだ」と言って、その本を
見せびらかす。
 
で、その本の物理に関する記述はおもしろかった。
(「アインシュタインは、立派な人格の持ち主だったが、美しい女性には弱く、、、」なんて記述も。
 子供向けの本に、なぜそんなことを。「立派な人格の持ち主」の定義まで怪しくする記述でしょ。)
息子は、私が某武道の練習中に、ローレンツ短縮の説明を読んでいて、それがわかったときに、
うれしさのあまり走り回ったそうだ。
さっそく妻をつかまえて、覚えたての「ローレンツ短縮はね」。
妻は、「そういう話は、お父さん(つまり、私)にしてっ。お母さんはもういいから!」。
 
文学作品への道のりは、まだ、遠いわけだ。