思考の期間・その3

「短時間に発揮する(集中する)思考力」と「長期間考え続ける思考力」の最終回。
 
短距離走のスピードで長距離を走りきれないように、短時間に発揮する思考力を長期間
もたせることはできない。これらは、違うタイプの思考力なのだ。
たとえば、「1つの問題を5時間ぶっ通しで考えた」というなら、それは、あくまで
短時間の思考力だと思う。そのあと、いったん中止して、飯を食べ、風呂に入り、寝て、
次の日には、別の仕事もあるが、時間ができたら、もう一度考えはじめる...。
それを何日も繰り返すというのが、私が考える「長期間考え続ける思考力」だ。
(これは、「長距離走」より、「昔の徒歩による旅」の方がイメージに合うかもしれない。)
テストの問題はともかく、「現実の問題」は、このように解決されるのではないだろうか。
 
「長期間考える」ということは、「わからない状態が長期間続く」ということだ。
人間は、わかるとうれしいが、わからない状態が続くのは苦しい。
その結果、おそらく、2つの選択がある。
 
 1.問題そのものを忘れてしまう
 2.いつまでも心のスミにひっかかる
 
私は、「本来は誰もが勉強が好き」と思うのだが、現実には、得意不得意が現れて、
勉強を嫌いになっていく人が多いことも知っている。かなりの極論であることを承知で
言えば、その境目は、上の2つの選択のどちらを選ぶかによっていると思う。
 
ちょっとたとえ話を。
たとえば、「子供時代の美しい思い出」があるとする。
「その時は、嫌なこともつらいこともなかった」と思っていたとする。
しかし、実際に思い出の場所に行ってみると、子供時代とは言え、案外現実的な悩みが
あったことを思い出したりする。そんなことはないだろうか。
 
何が言いたいかと言うと、「人間は、嫌なことは忘れてしまう」ということだ。
そのため、難しい問題があると、問題の存在そのものを忘れてしまうことがある。
完全に忘れてしまわなくても、「これはあとで考えよう」と、考えることは完全に止めてしまい、
次第に、「本当のところ、何が問題だったか」を忘れてしまう。
その方が、ずっと楽だからだ。
覚えているのは、思い出してもつらくならない程度の「形骸化された問題」に過ぎない。
 
「長期間考え続ける思考力」とは、何のことはない、2番目の選択、つまり、「いつまでも心の
スミにひっかかる」という状態になることだ。それができれば、あとは、折に触れて、
「短時間に発揮する思考力」で、いつか、(解があるなら)解決していくのではないだろうか。
 
大人になれば、誰でも、忘れることが許されない問題に出会う。
だから、わざわざ、「いつまでも心のスミにひっかけておく能力」などと言う必要はないだろう。
しかし、ここで言っているのは、子供の訓練の話だ。
「いつまでも心のスミにひっかけておくこと」を簡単に放棄してしまう子供はたくさんいる。と思う。
「いつまでも心のスミにひっかけておくこと」を、訓練によって、身につけさせるべきではないか、
というのが、私の主張である。
 
以上です。