思考の期間

思考にも、短距離走長距離走のようなものがあると思う。
つまり、「短時間に集中する思考力」と「長期間考え続ける思考力」があると思うのだ。
「短時間の集中する思考力」とは、たとえば、テストのときなどに必要とされる思考力。
「長期間考え続ける思考力」は、何かの問題を、何日も、何ヶ月も考え続ける思考力。
陸上競技の場合、短距離と長距離の両方得意という人はあまり聞かない。
(詳しくはないので、よくわからないのだが。)
しかし、思考の場合、一般には両方必要だと思う。
特に、「短時間の集中」は、これができないことには、いろいろうまくいかないと思う。
たとえば、テストとか。テストとか。テストとか。
しかし、本当に必要な思考力は、「短時間の集中ができる」上で「長期間考え続ける思考力」
ではないだろうか。
もちろん、両者には関連があると思うのだが、私は、これらは、ある程度独立した思考力では
ないかと思うのだ。
つまり、端的に言ってしまえば、「テストで良い点を取れる思考力」を持つ人が、
「(テストの問題ではない)実際の問題を解決する思考力」を持っているとは、限らないのでは
ないかと思うわけだ。
 
ここで私が問題にしたいのは、これらの思考の「質」ではない。
「思考力の質」が高いということは、つまり、それらの思考力を使って、実際に「テストで
良い点を取る」とか「問題を解決する」ということだろう。
そういう思考力こそ、もっともほしいものだが、そんなものを身につける方法を、そうやすやすと
考え出せるとは思えない。ここで論じたいのは、そのような「思考力の質」をよくする話ではなく、
「如何に短時間集中するか」と「如何に長時間考え続けることができるか」という話なのだ。
 
ただし、コメントがある。
「テストで良い点を取れる思考力」を持つ人が、「(テストの問題ではない)実際の問題を
解決する思考力」を持っているとは限らない、と言うと、続けて、「だからテストでよい点
を取ることには、たいした意味はない」と言う人がいる。
一般論としては賛成だ。結局、テストでよい点を取るよりずっと大事なことがある。
しかし、テストでよい点を取る人は、そういう努力を積み重ねてきたのであり、その努力は尊い
そういう人たちが流したであろう汗と涙に無頓着で、いきなり、よくわからないような高い
立場から、「だからテストでよい点を取ることには、たいした意味はない」と言う人を
私は、好きになれない。また、自分も、そのような意味での発言をしたいとは思わない。
 
さらに言えば、「テストの問題を解く能力」は、「実際の問題を解決する能力」のモトになると思う。
それらは、決して無関係ではないはずだ。
私が、「テストでよい点を取ることには、たいした意味はない」と言うとしたら、それは、
「時間制限がある中で、人為的に作られた問題が解決できなかったからといって、その人の
問題解決能力が必ずしも低いわけではない」という意味である。
しかし、たとえば、時間制限等の制限をはずしても、そのテストの問題が解けないのなら、
その人のその分野における能力は「低い」と言わざるを得ないだろう。
(もちろん、そのテストで問われている狭い分野の話だが。)
 
で、以下、続く。