図形の問題2

10月6日の続き。「図形問題には、独特の慣れが必要である」ということについて。
 
中学受験や高校受験に出題される図形の問題というのは、パターンが限られているのでは
ないだろうか。その中でも、「よく出るパターン」というものがありそうだ。
たとえば、中学受験の問題の場合、リボンとかピラミッドというパターンがある。
リボンは、「平行線の間の一点で二直線が交差して、平行線と合わせて互いに相似な
三角形が2つできるパターン」。ピラミッドは、「1つの三角形の底辺に平行な直線を
三角形内部に引くことで、もとの三角形と相似な(小さい)三角形ができるパターン」のこと。
文で書くとすごいが図で見れば、どちらも、おなじみのやつだ。
中学受験の図形の問題のかなりが、これら(リボンとピラミッドだけではないが)のパターンを
あてはめることで解くことができるのではないかと思う。
そしてこれらのパターンで解けない問題はどうするかというと、それらの大部分は、
おそらく、「特殊な問題」とされ、これまた、「頻度は少ないが出題されるパターン」と
して分類されているのではないかと思う。(そうでないものは、問題文にヒントがあるか、
受験生のほとんど誰にも解けない問題か、だと思う。)
 
つまり、図形の勉強というものは、「パターンの記憶とその当てはめの練習」に見えるのだ。
最初に「慣れ」と書いたものは、「パターンを使うこと」という意味だ。
受験に合格するという意味では、それでよいと思う。
(いつもそうだが、私は、受験勉強を否定していない。受験は存在するし、大学受験に
合格しなければ、学問的に、その先はない。それに、受験勉強そのものが役に立つこともある。)
しかし、それでいいのだろうか、という疑問もわく。最近流行の言い方をすれば、それが
本当に「数学脳」を養成することになるのだろうか、という疑問だ。
もちろん、「パターンの記憶とその当てはめの練習」によってこそ、「数学脳」が鍛えられる
のかもしれない。でも、そうではないかもしれない。
これは、理論的には実験できることかもしれないが、現実には実験などできない。
自分は、もう少し、子供と試してみようと思っている。
 
付記:
子供の頃、図形の問題が解けてうれしかったのは、その問題が「はじめて見たもの」だった場合だ。
と思う。というのは、次に同じ問題を見ても、あとは「計算という作業」が残っているだけだから。
初めて解けたときの感動は尊いと思う。そして、それこそ大事なのではないか、とも思う。
しかし、それもあやしい。2回目でも3回目でも、解き方を忘れていれば、やっぱり、解くのに時間が
かかったろう。そうして、1回目であれ、何回目であれ、その問題を解くことが、本当に、単なる
「作業」になったとき、はじめて、「(前より)本当の意味で算数ができるようになった」と
言えるのかもしれない。...言えないのかもしれない。う〜ん。どっちだ。