算数・数学

最近は、栗田哲也先生にはまっている。
「数学に感動する頭をつくる」を読んで感心し、かなりたくさん著作を買ってしまった。
特に、「感動する頭」は、私には、大変有意義なヒントにあふれていた。
(正直、「数学のできる子に、公文式の出身者が多い」には、ドギモを抜かれた。)
私が「教育」に興味をもってからは、陰山英男先生以来のマイ・ブームと言える。
 
「感動する頭」にある、「数学は暗記だ」には、ちょっとニヤッとするものがあった。
栗田先生、私と同世代で、同じ時代に同じこと考えてたんだなあ、と思った。
(当時、同級生たちと、同じ話をした記憶もある。)
ただし、その「数学は暗記だ」は、正確には、「受験数学は暗記だ」だと思う。
「受験数学でない数学はどうなのか?」が、私のテーマだ。
もちろん、それは、「受験数学でない数学は暗記でない」という主張ではない。
「どうなんだろう」ということ。
先生の経歴を見るに、「数学オリンピックの数学」も「暗記」が重要なんだと思う。
ただ、文中にほんのちょっとだけ、「数学者(数学教育者ではない)との意見の違い」が
あるようなフシが見られた。誤解ならすみません。
  
「感動する頭」には、ご自身のお子さんの教育にも「栗田式」を適用している、
という話があった。お子さんがその後、どんな風にお育ちかにも興味がある。
お子さん自身が、「栗田式」を良いと思っているか、とか。
(大変下品な物言いかと思うが、それも、「我が子の教育のため」です。)
 
栗田先生は、駿○の先生だそうで、ウチの子も見てもらいたいが、○台は遠いなあ。