昨日の日記に「賢い子」と書いたが、それって、どういう意味だろう。
一般論ではない。自分の子供の話だ。
 
自分のココロの中をのぞくのは怖い。
たぶん、私は、自分の子供に「数学のできる人」になってほしいのだ。
(特に「数学者になってほしい」というわけではない。もちろん、なってもいいのだが、
 それより、「数学ができる」が、私にとっては、すべての基本なのだ。)
子供たちを「自分程度」にすることは、簡単だろう。
しかし、私は、単なる「数学好き」であって、そんなに数学ができたわけではない。
「自分程度」では、全然足りないと、少々苦い実感があるのだ。
私が望んでいるのは、私が見ることができなかった「数学の風景」を見てほしいということだ。
そして、それがどんな風景なのか教えてほしいのだ。
 
すると、数学者に家庭教師でもしてもらえばよさそうだが、それは難しい。
家庭教師をお願いできるような知り合いもいない。
そうすると、自分で、やり方を考えなければならないということになる。
私の「悩み」の根源(の1つ)は、ここにあるのだろう。
つまり、私は、自分にできないことを子供ができるようにと、自分が知らないことを教えたり、
手助けしたりしようとしているわけだ。
 
たとえば、陰山英男先生に代表される100マス計算。
子供にやらせてみて、また、自分も一緒にやってみて、これはものすごく有効だった。
ただし、それだけで、「数学のできる人」になるわけはない。
問題集の難しい問題を解かせておけばよいのだろうか。
最近、子供たちは、私の意表をつく、するどい発想や発見を見せてくれる。
これは、なんとも頼もしい。
でも、「問題解き」だけだと、なんだか、受験勉強をやらせているだけのようにも思う。
それより、「おもしろい問題」を解かせるのがよいのだろうか。ケーニヒスベルグの橋とか。
でも、あんまり「おもしろい問題」はない(知らない)。
あるいは、「高度な概念」に触れさせておくとよいのだろうか。
でも、問題も解かずに「高度な概念」というのは、難しい。
全部やらせればよい?
そんなに時間はない。疲れちゃうだろうし。
 
今のところ、結論はでない。