社会の何が難しいか(歴史編)

私は社会が苦手な子供だった。
理数系は苦手ではなかったので、個性かもしれないが、大人になって改めて社会を勉強して
感じることを書いてみたい。今日は歴史編。地理編は書くかどうかわからない。
 

I 因果関係
「歴史では原因と結果に着目するように」と教わる。
これは正しいサジェスチョンだと思うが、一方、以下に挙げる困難がある。
 
1.人間社会は複雑である。原因も結果も、実は、非常に複雑である。
 人間社会では、(見かけ上)同じ原因から異なる結果が現れることも多い。
 もちろん、細かく見れば、それぞれに理由があるわけだが、細かく教わらなければ、
 論理的な因果関係を認めることはできない。
2.子供には限られたことしか教えない。
 人類の歴史のすべてを理解したり覚えたりすることは、普通の人間には不可能だと思う。
 したがって、情報が取捨選択されることはしかたがない。
 しかし、途中経過をかなり省略された事実の間に、「因果関係がある」と言うのは難しい。
3.教えない歴史的事実が、子供に部分的に伝わる。
 「子供に限られたことしか教えない」理由は、第一に、子供の能力を考えてのことだろう。
 また、個人的想像だが、あまりにひどい骨肉の争いなどは、きれいに整形されて提示されるようだ。
 しかし、歴史を教える側の大人や書籍が、「一般には教えない情報」を小出しにすることもある。
 理由はどうあれ(純然たる善意からであっても)、これは子供を混乱させる。
(部分的な情報を「漏らす」大人がいるから問題だ、、、ということではなく、子供が、いろいろな
 レベルの知識にさらされていて、しかも、子供には、それが「レベルの違う話」と判断できないと
 いうことだ。誰が悪いかと言うと、たぶん、誰も悪くない。)
4.因果関係の無い事実も起こる。
 
II 枠組み
歴史に限らないが、体系的な知識を獲得するためには、その枠組みを知らなければならない。
しかし、以下に挙げる困難がある。
 
1.歴史には複数の枠組みがある。
 たとえば、「年」「世紀」「時代」などがある。
 また、「時代」でも、「政治史的な時代区分」「文化史的な時代区分」などがある。
 この中で、厳密に入れ子になっているのは、「年は、世紀の中にある」だけである。
(ところで、「紀元前1500年ごろ」などと「紀元と年」を使い、一方、「紀元前3世紀ごろ」などと
 「紀元と世紀」も使い、さらに、「今から約12000年ほど前」などと「年」だけを使ったりするのは、
 一体全体どういうわけなのだろう。このくらい統一的に言ってほしい。)
2.教科書・参考の記述で、使用する枠組みが唐突に変更されることがある。
 「使用している枠組みの変更」は、歴史教科書を書いている専門家には、ほとんど無意識であっても、
 読んでいるものには大変な「苦痛」が伴う。
(実は、かつての私くらい歴史が苦手だと、もはや「苦痛」すら感じない。
 何が起こっているのかわからないからだ。ただ、「もやもや感」だけはしっかりある。)
3.教科書・参考書内で「時代」が明記されていないこともある。
 扱う対象(「政治」や「文化」)によって、大抵の教科書・参考書は、何度も時代を遡るが、
 そのことが必ずしも明記されていない。
 たとえば、多くの本に、「この頃、○○(農業や文化など)が発達した」などという記述があるが、
 大抵は、「政治史」を一通り説明したあとの節に突然現れる記述で、具体的にいつのことか
 よく分からないこともある。「これは、流れから言うと、△△時代中期の話なのか」などと推測もできるが、
 「絶対にそうだ」という確信が持てなかったりする。
 
以上、嫌がらせのようですが、そのつもりはありません。