ちょっと思ったこと 2

なんだかランダムに。
 
しみじみ思うに、教育には2つの相反する目的があると思う。
それは、
 
 一定の知識・技能を生徒に教え込む。
 生徒に自主独立の気概を持たせる。
 
後者の方は、正確には「持たせる」ではなく、「持つような状況を作り、持つのを待つ」だが、
簡単のため、こう書く。
(余談だが、「簡単のため」というのは理系(物理系?)には普通の日本語だと思うのだが、
 文系の人には違和感があるのかもしれない。)
 
「子供はみんな天才だ」という信仰のある人は、子供は、きっかけさえ与えれば自然に伸びて
いくと思っているらしいが、私にその宗教はない。
人類が蓄えた膨大な知識の一部なりとも身に着けてもらうには、「教え込み」が必要であり、
効率的だと思う。
 
また、おそらく同じ宗教を信じている人たちは、「子供のやる気(自主独立の気概)」は
ペア学習とか討論とかで比較的お手軽に持たせられると思っているように思うが、
私はそう思わない。
 
そもそも、自主性というのは、教師や親が邪魔さえしなければ「ある」と思う。
ただ、それが「教育的に望ましい方向かどうか」が問題になる。
ゲームにやる気満々なのも自主性だと思うし、勉強しないの自主性だと思う。
それが絶対悪いわけでもないだろうが、それだけだと困るのだ。
だからと言って、こっち(親とか先生とか)の思う方向に導けたとして、
それが自主性かというと、あやしい。
だから、「自主性を持たせる」というのは難しいと思うのだ。
 
もちろん、「なんでも自主性に任せる」という教育方針もあると思うが、たいていの人は
賛成しないと思う。(王様の子でもなければ、あとが大変そうだし。)
私も賛成しない。
 
というわけで、「自主性」自体が矛盾をはらんでそうな難しい問題なのだが、
そこに教え込みをするとますます自主性が危なくなる。
しかし、これをなんとかしなければ教育ではないと思うのだ。