知識について

実家に帰ると、私が子供時代に買った百科辞典と文学全集がいかめしく鎮座している。
それらを見るたびに、「あの何分の1を読んだだろうか?」と胸が痛む。
(お父さん、お母さん、ごめんなさい。)
 
それはそれとして、思うに、あの時代の多くのご家庭に百科事典とか全集とかがあった
のではないだろうか。
それは、「昭和時代のペダンチシズム」だと思う。
しかし、ペダンチシズムであっても、あの時代には「知識への尊崇」があったと思う。
今の時代、知識は「無料でネットから得られるもの」に過ぎず、大事にされている気配はない。
ちょっとまともな「知識」であれば、無料ではないが、しかし「廉価で購入するもの」だろうか。
この「必要に応じて購入する知識」の乗り物が本である。
 
ネット書店の書評を見ると「この本はダメ」と、あまりに安易に書かれているような気がする。
まあ確かにダメな本もあるだろうが、「読者としての努力」をまったくしていない人によるものも
多いような気がするのだ。
 
本は安いと思う。そして、簡単に買うことができる。
しかし、「本を買えば(そして気楽に読めば)、その代価分の知識が誰にでもすぐ身に付く」と
考えること、つまり、「知識は廉価で購入できる」と考えることは間違いだと思う。
廉価に購入できるのは「知識」ではなく「知識を身につけるチャンス」にすぎないと思う。
 
付記:
最近、「ちょっと調べればすぐわかる」という表現をよく目にする。
何かの符牒なんだろうかと思うほど、ほぼこのままの表現で使われる。
しかし、そう書かれている対象について「ちょっと調べてすぐわかったこと」などない。
だから、私は、むしろこの言葉を使う人をあまり信用できない。