世界史と化学の記憶学習に関する個人的感想3

さて、迷走しているかのようなこのエントリー。
別に迷走しているわけではなく、最初から、こんな予定である。
 
前回言いたかったことは、「勉強すべき範囲が定まっていないと、多くの生徒がそのストレスから
勉強自体をやめてしまう」ということだ。(結論はそうだったんですよ。)
「どこまでやればいいの?」「え?終わりはないの?」という状況は、好きな事でなければ、
大抵の人は耐えられない。
これは、実際、バカにできないほど、大きな影響を持つと思うのだ。
 
で、最近、私の世界史、ついで化学の勉強が進んでいるのは、「勉強すべき範囲」がなんとか
見えてきたからにほかならない。
で、思ったのだが、自分が受験生の頃、世界史やら地理やらが全然頭に入らなかった大きな原因は、
この「勉強すべき範囲がわからなかった」ではないのだろうか。
それが解消されつつある今、それを強く感じるのだ。
逆に言えば、はじめに勉強すべき範囲を確定させるべきだったのだ。
なぜこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。
あ、いや、思い出してみると、本能か論理かに従って、勉強前に範囲を確定させようとしていた。
しかし、それはうまくいかなかったのだ。
 
ところで、世間の人はどのように範囲を確定させているのだろうか。
世界史と化学についてはまだ途中なので、本当に、誰かに教えてもらいたい。
が、そういう各論は別にして、一般論は次のようになるだろう。
 
・気にしない。
むしろ終わりが来ないことを望んでいるか、ものすごく強い意志を持っているか、
あるいは、何も考えないタイプの人だろうと思う。
一部の事については、私も「終わりが来ないこと」を望んでいるかもしれない。
しかし、それらを除く大抵の事において、「気にしない」という方針は私には向いていない。
 
・カリスマ先生に頼る。
カリスマ先生がなぜカリスマなのか。
いろいろパターンはありそうだが、たぶん、「私の言うことを聞いていれば大丈夫」という
人が多いのではないだろうか。
そういうカリスマ先生は、「今の時期はコレをやりなさい。夏休みにコレ。秋にはコレ、、、」の
ように指示してくれ、「これで大丈夫」なんて言ってくれるのではないだろうか。
まあ、私には、その、、、向いていない。
 
・参考書に頼る。
「この本を一冊勉強すれば受験に必要な全範囲はカバー」みたいな本があればいいと思う。
数学と物理にはある。
と言うか、大抵の本はそういう作りになっているので、自分で好きなのを選べば良いと思う。
数研とか、啓林館とか、文英堂とか、東京出版とか、Z会とか、他にもあるだろう。
 
社会は・・・。
上に書いた「思い出してみると、本能か論理かに従って、勉強前に範囲を確定させようとしていた。
しかし、それはうまくいかなかったのだ」は、ここだ。
つまり、「この本が全範囲をカバーしていると私が思える本」が見つからなかったのだ。