心の技術

私の勉強法探求の旅は終わりに近づいた、、、というか、本質的部分はたぶん終わってしまったと思う。
あとは、ただ勉強するだけなのだ。
が、ときどき思いついたちょっとしたことを書いておきたい。
 
記憶学習法にもいろいろあるようだ。
「教科書を7回読む」(東大首席弁護士が教える超速7回読み勉強法 山口真由著)とか
「一度勉強したものを1時間後に復習する」とか「英単語は1日200個覚える(努力をする)」とか、
あるいは「オヤジギャグ風のダジャレを使う」とか、なかなか具体的なものも多いのだが、結局のところ、
それらは心の問題(心をどう扱うかという問題)になるのではないかと思う。
私は、そのようなもので抽象的なものを精神論とよび、具体的なものを「心の技術論」とよぶ。
私の定義では「忘れることを恐れるな」は精神論で、「教科書を7回読む」は心の技術論だ。
 
たとえば、教科書を7回読めば、必ず覚えられるのだろうか。
私が実験したところ、答は、残念ながらノーであった。
しかし、それなら、そういうことを主張する著者さんは嘘をついているのだろうか。
自著を売るために嘘をついている人は結構いるような気がする。
しかし、「教科書を7回読む」と主張している著者さんは、想像だが、本質的な所では嘘を
ついてなどいないと思う。
(実は書店でパラ見して、ちょっと読む気がでなかったので読んでません。
 その上で言うのもなんですが、「何か書いてない大事なこと」があるような気もします。
 それと、数学ができる人のような気はしないです。ごめんなさい。)
 
それは、世の中に7回読んで覚えられる人と覚えられない人がいるということだが、
その違いは、「持って生まれた才能」などというものではなく、著者さんを含めて「できる人」は
「7回読んで覚えてしまう心の技術」をどういう理由かで身に着けてしまった人たちだと思うのだ。
 
こういうことはごく普通に目にすることだと思う。
たとえば、野球の専門家が「バットをこういう風に振ってボールに当てればヒットになるよ」と
教えてくれる。サッカーの専門家が「シュートはこういう風に蹴るんだ」と言う。
野球の専門家もサッカーの専門家も決して嘘などついていない。
それでも、それを聞いてできてしまう人とできない人がいるのである。
 
その違いを「持って生まれた才能」と言ってしまうのは早計だと思う。
いや、確かにそういう側面はあるだろうし、もしプロになるならその辺こそが大きいのかもしれない。
しかし、草野球や草サッカーで「できるできない」(学校の勉強など草野球レベルだと思う)は、
「才能があるからないから」の問題ではないだろうと思う。
 
要は、練習が足りないのだと想像する。
で、それで終わりなのだが、もう少し続く。