息子の大学受験記

息子は私よりずっと優秀だと思う。
ただ、なんと言うか、ムラがあった。
(これは、過去形にしてほしい。心底。)
 
高校に入学すると、そこそこの成績を取った。と思う。
のだが、いろいろ学校行事にのめりこみ、段々良くなくなった。
が、一念発起すると、また結構な成績をとった。
すると(?)、また学校行事に・・・という感じで、成績は乱高下した。
しかし、まあ、2年の終りくらいまでは、「乱高下しながら、下がっていった」が
正しい表現ではないだろうか。
 
「勉強」とは、学業がすべてではなく、学校行事や交友も極めて重要なことだから、
そちらにがんばって、テストの点が下がったとしても、それはそれでいいと思う。
ただ、大学入試という現実もある。
 
ちなみに、高校受験期くらいから私の指導はほとんど拒否状態だったが、
高2の後半くらいからか、私が週末に問題(大学入試問題の切り貼り)を出すと、
それだけはちゃんとやってくれるようになった。
「お父さん週末問題」とよんでいたのだが、
息子はそれを「指導を受けた」と感じてくれたようである。
これは高3のはじめには終了した。
ま、本格受験生だし、それは当然だろう。
 
高2の終わりにセンター試験同日模試というのを受けた。
センターと同じ問題をやるのだ。
驚いたことに(?)、息子の成績は結構よかったようだ。
当時私は大学受験事情に疎く、よくわからなかったのだが。
息子は、塾にはあまりいかなかったのだが、「模試の点が良い」ということで、
なんだか特典があったりした。
 
高3夏ごろの模試で、志望校の判定でAをもらったのには、家族一同仰天した。
いや、まあ、ものすごくうれしかったのだが。
その後、学外の模試も校内模試も、揺れながらも良い成績になっていった。と思う。
 
ただし、いろいろな判定もいただいている。
「A、B、C、D、E、Mの全判定をもらった」というのである。
ちなみに、Mとは「科目が足りないので不可」というものらしい。
こんなにたくさん判定をもらう奴も少ないだろうと言っていると、友人で
W判定というのをもらった奴もいるという。
(「男なので女子大は不可」という意味らしい。
 いや、まったく、男子高の奴らというのは。)
 
11月頃(?)の最終校内模試は私も取っていない高順位(私も同じ高校だから)を取り、
私たち夫婦を安心させてくれた。
で、「そのまま勉強を続けて、私たちを安心させてくれ」と言うことにした。
 
冬になると高名な数学者の授業を受ける機会があり、急にそっちに走り出した。
通常状態ならそれもうれしいことなのだが、私はおおいに心配した。
受験勉強の合間に、代数幾何とかなんとかの本を読み、グロタンディエクがどうした、
ザリスキがどうした、と。
何度も私に層だか前層だかの定義を教えてくれるのだが、なんだか飲み込めないで
いると、「簡単でしょ?ね、わかったでしょ?」と親をさいなむように。
そのうち受験勉強の合間に数学(受験のではない)の勉強をしてるのか、
数学の勉強の合間に受験勉強してるのか、私は不安になってきた。
 
「数学はいいけど、受験勉強は?」と言うと、「大丈夫」。
う、うん、大丈夫だ、、、よね。
 
年が明けてからセンターの勉強。
「俺は、センター対策をやりながら2次対策とか、2次をやりながらセンターとか、
そういう中途半端なことはしない。だからいいんだ」などと。
まあ、そうだとは思ったけどね。
 
センターを受けると、国語がああああああ。
(あの国語、と言うか、古文。本当に不満である。)
が、まあ、他で失点を抑え、「トータルではオッケー」。
それは強い精神力のおかげだろう。
 
そして、2次の勉強をして、無事ゴール。
私自身は、得意の数学で大失敗をしたのだが、もっと得意だった国語で救われた
ような気がしている。
息子は、大得意の数学が微妙(ただし、他の子にも難しかったよう)だったが、
国語と理科がかなり良かったらしい。
英語は実はあまりよくなくて、我々を心配させないため言わなかった、と。
 
ああ、本当に良かった。
よくがんばったな。
可愛い息子よ。
 
以上、記憶に基づいているので、正確ではないと思う。
みなさまに感謝。