私の学力(数学力)観・その2

数学の基礎体力として、計算力とその練習について、言いたい放題のことを書いた。
今日は、もっと言いたい放題だ。
 
数学の基礎体力として、もうひとつ思い浮かぶのは、図形力とでも言うものだ。
たとえば、平面図形の問題(初等幾何の問題)で、「これとこれが(平行線の)錯角だから
等しくて、だから、この三角形とこの三角形は合同。だから、この辺とこの辺は等しい」なんて
思いつく能力だ。
あるいは、そういう問題で、補助線を的確に引いたりする能力もある。
もちろん、空間図形でも同様だ。
 
ところが、私は、(これを図形力と名づけることにして、)この図形力に関しては疑問がある。
それは、
 
 1.図形力は重要か?
 2.図形力は訓練によって身につくのか?
 
である。順番に考えてみよう。
 
もうすっかり忘れていたのだが、図形の問題は、「中学の数学の花」だったように思う。
しかし、それらの問題は、千年以上も前に終わってしまっている問題なのだ。(そうでしょ?)
アルキメデスユークリッドの時代だから、2000年近く前のことだ。
私の超個人的な人生経験で、図形力が役に立ったことは、たぶん、ない。
 
それでも、図形の問題を推奨する人は多い。
それは、実用性より、基礎鍛錬ということなのかもしれない。
もちろん、「入試に出る」という「実用的側面」は非常に大きいわけだが。
 
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図形(初等幾何)の勉強には、たとえば、「証明の書式の勉強」という側面がある。
「○○を仮定すると△△」などというヤツだ。
しかし、それは、スポーツのアナロジーで言うと、基礎体力ではなく、技術に相当する部分だ。
その意味で、私は、初等幾何の意義を大いに認めるが、今、議論しているのは、そのような
「技術」ではなく、「二つの三角形の合同」を思いついたり、的確な補助線を思いつく、
言わば、「素の図形力」とその練習についてだ。
 
ここで、特に気になるのは、「思いつく」ということだ。
「普通の人が思いつかないこと」を思いつける人は、どうして、そんなことができるのだろう?
それは、生まれつきなのか、訓練の結果なのか、それとも、その両方なのだろうか?
図形の勉強をすると、確かに、問題が解けるようになる。
だから、「素の図形力」も、訓練によって身につくのだろう。
ただし、私の場合、「(本質的に)頭がよくなっている」という実感はなかった。
つまり、「思いつく力」が増えたようには、あまり、感じなかったのだ。
問題が解けるようになったのは、知識が増えたからだろうと思う。
 
という個人的な感想にもかかわらず、私は、初等幾何の勉強は、適度にすると、適度に頭が
よくなるような気がしている。
私は、たとえば、ピアノを習うと頭がよくなるような気がする。根拠は何もない。
「初等幾何を勉強すると頭がよくなるような気がする」というのは、その程度の「気がする」だ。
しかし、ここでは、まったく根拠のない「気がする」の続きを書こう。
私は、「いろいろな図形を頭の中に思い浮かべたり、それを操作する」ということは、
脳自体の処理能力を鍛えることになるような気がするのだ。
 
最後に、ひとつコメント。
私は、少年時代、初等幾何の問題が好きだった。
純粋に問題を解くだけなら、それはとても楽しいことだったのだ。
「楽しければそれでいいだろ?」という意見もあると思う。
 
図形力の話はここまで。