算数

私自身、遠い昔、中学受験生だった。
残念ながら不合格で、公立中学からその高校部に入学したのだったが。
私たちの頃と比べて、「小学生の受験勉強」が大きく変わったと思うことがある。
それは、算数の扱いだ。
 
私たちの頃、「算数の問題は解けるまで考え抜け」と言われた。ような気がする。
(当時のすべての塾がそうだったのかは、知らない。
 ただ、中学受験はしていないが、妻も同様のことを言われていたらしい。
 したがって、まあ、そういう風潮があったのではないだろうか。)
ところが、最近の塾では、数分考えてわからなければ、答えを見たり、
先生に聞くことが推奨されているようだ。
しかも、その問題は決してやさしくない。
それこそ、私たちが三日も考えていたような問題を、今の子供たちは、数分で
「処理」してしまうのだ。
 
この違いはなんだろうか。
当時は小学生だったので推測しかできないが、昔は、今ほど「学習用の難問」
の数が多くなかったのではないか、と思う。ここで言う「学習用の難問」とは、
いわゆる奇問・珍問ではなく、ちゃんとした「良い難問」という意味だ。
(ただ、実際のところ、「子供には難しすぎる」と思う。その話はまたあとで。)
「学習用の難問」の数が少なかったというのは、塾の先生がそれほど数多くの問題を、
知らなかったのではないかということだ。
先生にとって生徒に出す問題は、言わば、メシのタネであり、虎の子である。
だから、「それほど数多く知らなかった」というのは、おかしいと思うかも知れない。
しかし、それは「今と比べて」という意味だ。
一人の普通の先生が、あるいは、かなり優秀な先生でも、知っている問題の数など、
やはり、たかが知れていると思う。
(そう言えば、私も塾講師をしていた時分があり、そういう普通の先生だった。)
もちろん、中には、ものすごい先生もいる。しかし、そういう先生に出会えた
生徒は、大変な幸運であり、めったにはいなかっただろう。
 
それでは今はどうかというと、優秀な教材作成チームをかかえて、最近の塾は、
実に豊富な「学習用の難問」を取り揃えているようなのだ。
これだけ問題があれば、「ちょっと考えて解けなければ答えを見てよい(聞いてよい)」
という指導もできる。一般に、算数・数学の問題は、自分で解かなければ身につかないと
言われる。その通りだと思う。しかし、「学習用の難問」は豊富にあり、それが
系統立てて整理されているので、一問解けなくても、そこで解き方を学び、
次の類題を、あるいは、そのまた次の類題を、自力で解けばよいわけだ。